ホットドック早食い大会上位を日本人が独占 [食べる]
米独立記念日を祝う一風変わった恒例行事がニューヨークで行われている。それが「ホットドッグの早食い大会」だ。これはホットドッグのチェーン店「ネイサンズ」が企画しているもので、なんと1916年のネイサンズ創業当時から昨年まで89回も、僅か2年の中止を除いて毎年開催されている由緒正しいイベントだ。 ところがこの大会、90年代後半から日本人が優勝をほぼ独占。大会新記録を記録している他、現在も日本人選手が4連覇中だ。 その詳細を「新聞・雑誌記事横断検索」で調べてみた。 ●新記録で4連覇新聞記事検索でキーワードを「ホットドッグ AND 早食い」とすると予想以上の件数がヒットし驚かされる。 記事によると、この大会は、米国内や英国、ドイツ、カナダ、日本など各国で行われた予選の勝者20人が、ニューヨークにあるホットドックチェーン店「ネイサンズ」で行われる本戦に進出。一皿に五本ずつ載ったホットドッグを制限時間12分内でより多く食べた人がチャンピオンとなる。 記事の内容を確認するとヒット件数が多い理由にうなずける。なんとこの大会、96年以降、1年を除き日本人が毎年優勝しているのだ。 それらの日本人選手の記録を纏めると次のようになる。 96年:優勝:中島広文さん(23個4分の1) 99年は惜しくも3位に終わったが、それ以外はなんと毎年日本人が優勝。さらに00年は1位~3位までを日本人が独占、また、01年以降は小林さんが4連覇を飾り現在に至っている。 その日本人の猛威には、「米国の威信をかけて戦え」とニューヨーク市長がと本気でゲキを飛ばす程。また中島さんが連覇を続けた当時は「USA! USA!」のシュプレヒコールが試合中に鳴り響いたという記事もあり、ホットドッグの本場米国としては、その早食い王座を日本人に奪われる事がよほど悔しかったのだろう。 また、96年から続く記録の先鋒となった中島さんには「トウキョウ・テラー(東京の恐怖)」という呼び名が付けられ、ニューヨーク市民が感じていた脅威が感じられる。 ●きっかけはテレビの早食い番組企画大会での日本人躍進の裏には、当時人気を集めていたテレビ東京の番組「TVチャンピオン」が存在する。 ニューヨーク開催の本戦に出場するには、世界各地で開かれる予選を通過する必要がある。この予選開催権をテレビ東京が所得した事から、番組の企画を兼ねて日本人選手が送り込まれるようになったのだ。 番組では、国内予選の様子からニューヨークに渡っての本戦を放送。00年に上位を日本人が独占した際も特番を組んで紹介するなど後押し、視聴率としても平均13%の高視聴率を上げていた。 ところが02年に状況は激変する。テレビ番組の早食いをまねした中学生が死亡する不幸な事故が起きてしまったのだ。 これをきっかけに当時人気だったTVチャンピオンでの大食い・早食い特集は自粛。他局でも早食い関連の番組も放送を取りやめる等、全国的に大食い・早食いについて自粛する傾向となった。 テレビ東京はこの自粛の流れを受け、日本予選会の開催権を放棄。これにより日本人が本戦へ参入する道が閉ざされ、01年優勝者の小林さんがディフェンディング・チャンピオンの権利で出場するのみとなった。 ●ネイサンズ日本進出で予選再開日本予選が開催されなかった02年から03年まで、小林さんは3連覇を成し遂げディフェンディング・チャンピオンの座を守りつづけた。 そして04年。ネイサンズが日本進出する事となり国内予選も再開。予選では00年チャンピオンの新井さんを破り白田信幸さんが優勝、小林さんと本戦へ参加し結果2位。そして小林さんは4連覇を達成した。 こうした早食い関連の記事検索結果には、選手達へのインタビュー記事もあり、日常生活での驚異的な食事量の他、早食い大会に向けた日頃の鍛錬が紹介されている。これらの選手達の早食いに対する真剣な取り組みからは、早食いを一種の競技として捉える新たな姿勢が伺えるが、フードバトルと呼ばれる早食い・大食い競技に対しては、02年の事故を教訓とすべき点が大きな問題として残り、これら安全面の確立が競技としてのフードバトルには要求されるように思われる。 (text by や) |
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