SSブログ

携帯小説について考える [本]

携帯小説が売れている。『恋空 切ナイ恋物語』『赤い糸』『君空 ‘koizora’another story』『もしもキミが。』。これらはいずれも、2007年の年間ベストセラー(トーハン調べ)総合ランキングで20位までにランクインした携帯小説の書籍版である。部門別に見ると「文芸」部門ではトップ3を独占する勢いである。

携帯小説は、10代、20代の女性を中心に絶大な支持を集めている、らしい。
筆者(26歳/男)は、この機会に携帯小説を読んでみたが、正直なところ面白さが理解できなかった。携帯小説とは何なのか。G-Searchの新聞・雑誌記事横断検索を使って考えてみた。

#G-Searchの新聞・雑誌記事横断検索で、キーワード「携帯小説 or ケイタイ小説 or ケータイ小説」で検索。本コラムでは「携帯小説」の表記に統一します。

●携帯小説とは

さて、まずは携帯小説の基本情報を押さえておくことにしよう。

携帯小説は、携帯電話からの閲覧を想定して書かれた文章である。今では、携帯小説のポータルサイトが複数存在し、誰でも簡単に作品を読んだり、書いたりできる。

主な読者層は、10代、20代の女性といわれている。ジャンルは多岐にわたり、小説を始めとして、ノンフィクションや評論も存在する。読者層を反映してか、 10代を主人公にした恋愛小説の人気が高い。冒頭で名前を挙げた『恋空』のように、書籍化、映画化された作品も存在する。

G-Searchに収録されている記事に、携帯小説の言葉が登場したのは2003年3月からだ。その年には、援助交際をテーマにした『Deep love アユの物語』という作品がヒットし、ベストセラーに名を連ねた。

携帯小説は、携帯電話の小さい画面でテンポよく話を進めるために、一文は短く、情景の描写は極力抑える、話に入りやすいよう会話中心の構成にする、などの工夫が凝らされている。

#以下は筆者が調べた結果の考察である。鵜呑みにはしないこと。

●携帯小説と小説は全くの別物

携帯小説をいわゆる普通の小説(以下、小説)の感覚で読んでも、きっと理解できない。理解できないのは、携帯小説が、新しい感性を必要とする小説だからである。

それをリテラシーと表現する。

携帯小説を読み解くリテラシーは、携帯電話と共に育った世代が身につけた、新しいリテラシーである。

小説を読む感性を小説のリテラシーと呼ぶとすれば、小説のリテラシーの持ち主には、携帯小説のリテラシーは理解できない。読書家と呼ばれる、小説のリテラシーが強固な人ほど理解できない。

携帯小説を読む10代、20代の女性の多くは、おそらく読書には興味がない。小説のリテラシーがないとも言える。

これまで、そういう彼女たちの心に届く小説はなかった。しかし、携帯小説は届いた。時代の背景とか作者の工夫とか、いろいろ理由はある。が、細かい分析は省く。結果として、彼女たちは携帯小説を支持する読者になった。

彼女たちは、携帯小説を携帯小説のリテラシーで読んでいる。それは、彼女たちだけが持ちえる新しい感性なのだろう。

●書籍化によって吹き出した否定的意見

冒頭に紹介した携帯小説は、いずれもベストセラーになっただけあって、書評が活発になされている。売り上げと評価はある程度比例しそうなものであるが、ふたを開けてみると、評価は押しなべて低い。5段階評価なら1や2ばかりである。

なぜか。筆者はこう考える。

もともと、携帯小説の読者と小説の読者は、そのリテラシーの違いから、明確に住み分かれていた。しかし、携帯小説の書籍化によって、携帯小説は小説の領域に進出した。

小説のリテラシーだけを持つ多くの読者が、本になった携帯小説という形で、携帯小説に出会ってしまった。読者は、携帯小説を小説と思って読んだ。そして支持される理由が理解できなかった。理解できないものが売れた。買ってしまった。読んでしまった。それが否定的な評価に繋がったのではないか。

●携帯小説はダメ?

筆者には、携帯小説のリテラシーはない。彼女たちのように感動を共有するには、小説のリテラシーに毒されすぎてしまっている。

だから、携帯小説を読んで楽しむことはできないだろう。そういう意味では、ダメである。
ただ、筆者は携帯小説を全く新しいものとして理解した。共感はできないが理解した。

携帯小説は、本を読まなかった読者に、新しい可能性を示した。
携帯小説は、読者からの大きな反響を呼び起こした。
携帯小説にはコメントが付きやすい。携帯電話で見る故に、情報発信の敷居が低い。
携帯小説の先駆けとなった『Deep love』で、読者から寄せられたコメントが紹介されている記事があった。共感した、勇気をもらった、援助交際をやめようと思った・・・コメントが溢れている。これだけでも、携帯小説は見守るに値するのではないか。

(text by お)

■関連情報サイト


2007-12-28 13:47  nice!(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

もうすぐ発表! 2006年本屋大賞 [本]


4月5日、2006年「本屋大賞」が発表される。
「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本」というキャッチコピーが示すとおり、新刊書の店員が審査員となって選ぶ文学賞だ。

今回は、この本屋大賞について、新聞・雑誌記事横断検索で調べてみた。

●本屋大賞とは?

出版不況という言葉が聞かれるようになってから久しい。
1997年以降、書籍の販売額は前年比マイナスの状態がずっと続いており、少なくはない数の書籍が毎日書店に現れては返品されているという。

そんな中、出版業界を店頭から盛り上げようと始まったのがこの「本屋大賞」である。
実際に商品とお客様を目にする書店員だからこそ感じる「あの作家の本は、もう少し押せば売れるのに」「今年お世話になった本にお礼を言いたい」といった思いを形にした賞でもある。

スタートは2003年9月。書店員、出版員15名が集まって作った”本屋大賞実行委員”が、インターネットで審査員と候補作を募集したのが始まりだ。こうして集まった書店員が審査員となり、2004年4月に第一回の”2004年本屋大賞”が発表された。

ちなみに、本屋大賞には「本屋大賞」と「発掘部門」の二部門が設けられている。

「本屋大賞」の対象となっているのは、発表される4月を起点として前々年の12月1日から前年11月30日までの1年間に刊行された日本人による文芸書、つまり小説。一次投票の審査員は1人3作品を選んで投票し、その上位10冊を全て読んだ審査員により2次投票が行われ、決定される。

「発掘部門」は、発表の前々年12月1日以前に刊行された(小説、マンガ等のジャンルを問わない)本から、審査員が1人1冊選ぶというもの。

なお、二次投票の候補作は1月後半に発表されるが(投票の締め切りは今回は2月末)、実際に本屋大賞が発表されるのは4月である。ちょっと間が空いているようにも感じられるが、これは、出版不況を反映して初版しか印刷されない作品が多いため、大賞候補作となった本を出版社に増刷してもらうための準備期間という意味があるという。

確かにせっかく店頭を盛り上げても、話題になっている本そのものがなければ意味がない。
本屋大賞のオフィシャルサイトを見てみると、候補作名が入ったポスターやPOPなどを配布している。

最初は15人で始まった本屋大賞実行員は2005年12月にNPO法人化し、それと前後して「LOVE書店!」なるフリーペーバーの発行も開始するなど、店頭を盛り上げたい・盛り上げて欲しいという本屋大賞実行委員の願いが伝わってくる。

●ベストセラーの後押しに

では実際に、本屋大賞は受賞作の売れ行きや出版不況に影響を与えることができたのか。

ここで過去2回の本屋大賞受賞作をご紹介しよう。

第一回「2004年本屋大賞」を受賞したのは、小川洋子『博士の愛した数式』。
80分しか記憶のもたない老数学博士と、その世話をするために雇われた家政婦とその10歳の息子との心の交流と別れを静かに描いた物語である。
書籍は単行本で約45万部、文庫本で約115万部と、150万部を超えるベストセラーとなった。

第二回となった「2005年本屋大賞」は恩田陸『夜のピクニック』が受賞。
高校生活あるいは人生でただ一度、一晩かけて80キロをただ、ただ歩く「歩行祭」というイベントでのある賭けと、参加者である高校生たちの心の軌跡が丹念に描かれている。

こちらは現在、単行本のみだが約25万部が売れているという。

どちらも、もともと売れ行きがいいものではあったそうだが、本屋大賞受賞を追い風に、更に売り上げを伸ばしたという。

ちなみに、本屋大賞作品と映画は相性がいいのか、今年映画が公開された『博士の愛した数式』は興行収入10億円を超えるヒット作になっている。また、『夜のピクニック』も映画化が開始されており、今秋には公開の予定だ。

なお、書店以外での認知度を測るということで、新聞・雑誌記事横断検索でキーワードを「本屋大賞」として検索し、件数を確認してみた。
受賞作の映画化も話題となり、2004年84件、2005年108件、2006年36件(3月30日現在)と、着実に知名度を挙げてきているようだ。
狙いどおり、現場からの出版業界の盛り上げに一役かっていると言えるだろう。

●今年のノミネート作品と予想

さて、最後に2006年本屋大賞の候補作をご紹介しておこう。
今年は10位タイが2作品あったということで、11作が候補に残っている。

 桂望実『県庁の星』(小学館)
 町田康『告白』(中央公論新社)
 奥田英朗『サウスバウンド』(角川書店)
 西加奈子『さくら』(小学館)
 伊坂幸太郎『死神の精度』(文藝春秋)
 重松清『その日のまえに』(文藝春秋)
 リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)
 島本理生『ナラタージュ』(角川書店)
 古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』(文藝春秋)
 伊坂幸太郎『魔王』(講談社)
 東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)

更に、蛇足且つ僭越ながら、タイトルと紹介文のみで立てた筆者の予想をひとつ。
(ちなみに筆者は『博士の愛した数式』も『夜のピクニック』も”本屋大賞受賞”の帯にひかれて購入し、読んだクチである。)

本命はリリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』。
この作品、筆者の周りでやたらと評判が高い。ただ、既に100万部を売り上げている(大が付くほどの)ベストセラーということから、書店員が今”売りたい本”として挙げるかどうかが気になるところ。

対抗は重松清『その日のまえに』。大穴は古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』。
前者は過去の受賞作に通ずる、後者は過去の受賞作とは正反対の雰囲気をそれぞれ感じ取れる(繰り返すが筆者が予想のタネにしているのはタイトルと紹介文のみです)。
本屋大賞の賞としてのカラーが既に決まったのか、それとも100人規模で増えている審査員によって変わっていくのか。その辺りもひとつの見所ではないだろうか。

本屋大賞の発表は4月5日。
書店にはおそらく当日から、本屋大賞受賞の帯を付けた本が並ぶだろう。
全国の書店員が実際に読んでいちばんすすめたい本、見かけたら是非、手にとって見てみて欲しい。

(text by ゆ)



2006-04-03 17:26  nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

賞が実力に追いついた? 祝・東野圭吾直木賞受賞! [本]


1月17日、第134回直木賞、芥川賞が決まった。
直木賞を受賞したのは今回で6度目のノミネートとなる東野圭吾、芥川賞を受賞したのは4度目のノミネートとなる絲山秋子。

今回は直木賞を”本格的な推理小説”で受賞した東野圭吾について、新聞・雑誌記事横断検索で調べてみた。

●ベストセラー作家・東野圭吾

東野圭吾は1958年生まれ、大阪出身。大学卒業後、エンジニアとして働く傍ら執筆活動を開始。1985年『放課後』で江戸川乱歩賞を受賞し、本格的な作家活動を開始(乱歩賞は社団法人日本推理作家協会が主催)。

現在、約60冊はある著作は、ミステリーだけではなく、エッセイや絵本まで。
多様な題材と期待を裏切らない(いい意味では期待を裏切り続ける)作品で、ミステリーファンの間では常に一定の支持を得ている作家である。

ちなみに、2006年1月現在、新聞・雑誌記事横断検索でキーワードを”東野圭吾”としてヒットする記事約1300件の中で最も古いものは、1985年の乱歩賞受賞を伝える記事。最も収録開始が早い(古い)「朝日新聞記事情報」の収録開始年の記事であった。

さて、読書家には有名だった東野圭吾の名前が一般的に知られるようになったのは1999年。前年9月に出版された『秘密』が映画化されたことによるものではないだろうか。広末涼子が”40代の母親の心をもった10代の娘”を演じたことでも話題になったといえば、思い出す方も多いのではないだろうか。

ファンにとっては賛否両論、穏やかではない部分もあるかとは思うが、東野圭吾作品は映像化したくならせるものがあるのかも知れない。
”東野圭吾 AND 原作 AND 映画”で検索してみたところ、現在各地で上映中の『変身』、昨年初めに公開された『レイクサイド マーダーケース』、『g@me』(2003年公開)など、合計4作品で原作としてクレジットされている。その他、長短編あわせてドラマ化されているものも数多い。現在TBS系列で放映されている連続ドラマ『白夜行』も東野圭吾原作である。

●ありがたみがなくなった?直木賞

直木賞は正式名称「直木三十五賞」、大正・昭和の作家直木三十五の業績を偲び、その死の翌1935年に菊池寛によって創設された賞である(現在の主催は財団法人日本文学振興会)。
無名・新人・中堅作家の大衆文芸作品(長・短編問わず)を対象とし、選考委員により最も優秀なものに送られる。

なお、同日に選考、決定される芥川賞(芥川龍之介賞)は、無名・新人作家による純文学短編作品に送られる賞で、同じく1935年に、菊池寛によって創設されている。
(余談だが、現在の文芸春秋社の前進を創業した菊池寛と芥川賞については、北村薫の小説『六の宮の姫君』を読んでみて欲しい。)

純文学と大衆文学の差がなくなってきつつあるといわれる近年では、短編が芥川賞、長編が直木賞だと言われることもあるようだが、どちらも文学界の話題作りという面を持っている日本で最も有名な文学賞であることは間違いないだろう。

ただ、現在、全国で500余りの文学・文芸賞があるということ、また、東野圭吾が「ゲーム」と称し、絲山秋子が「今回とれなければ、今後候補になることをお断りしようと思った。無駄なことで時間が失われるから」とまで語ったということからも、書き手にとって賞自体のありがたみが薄くなっているのではないかという指摘もあるようだ。

●名(賞)が実(実力)に追いついた?

さて、江戸川乱歩賞受賞作でデビューし、ミステリーを書いてきた東野圭吾は、近年は事件や謎を契機として揺れ動く現代を描く重厚な物語へと作風を広げているという。

過去、直木賞候補作としてノミネートされた東野圭吾の作品は以下の通り(カッコ内はその回の受賞作)。

 第120回 『秘密』 (宮部みゆき『理由』)
 第122回 『白夜行』 (なかにし礼『長崎ぶらぶら節』)
 第125回 『片思い』 (藤田宜永『愛の領分』)
 第129回 『手紙』 (石田衣良『4TEEN フォーティーン』)
 第131回 『幻夜』 (奥田英朗『空中ブランコ』)

あらすじ紹介は置くが、何度も本命と目されながらも「重いテーマの割には人間の描写が軽すぎる」「技巧が巧みすぎ読者の心を打つかという点が評価が分かれる」等の理由で受賞を逃してきた(選考理由が減点方式のように見える・選考委員の主観的な言葉でしか選考過程が伝わってこないことも、直木賞批判の元になっているのではないかと筆者は思うが……)。

今回の受賞作となった『容疑者Xの献身』についても選考過程を伝える記事によると、上と同じような意見もあったという。ただ、「トリック主体としての小説としての完成度が高い」「人間がかかれていないという点で選考委員の激しい議論があったが、それを求めると、トリックが成り立たない」という理由から晴れて受賞となったという。

本格的な推理小説が直木賞を受賞するのは極めて珍しいことであるそうだ。
大衆文芸とは娯楽小説(エンターテイメント)であるとするならば、今回、推理小説である『容疑者Xの献身』が直木賞を受賞したことは、筆者は個人的に非常に嬉しく思う。

映画『変身』の公開、『白夜行』のドラマ化、直木賞受賞と、今、書店には東野圭吾の多くの本が山積みにされている。今までなんとなく敬遠していた方やちょっとでも興味を覚えた方は、是非一度手に取ってみてはいかがだろうか。

(text by ゆ)




2006-01-30 16:27  nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。