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食べるものがからだをつくる・「マクロビ」って何だ? [食べる]


先日、人づてに「マクロビオティック」という言葉を聞いた。新手の経済用語かと思いきや、ギリシャ語で「大いなる生命技術」という意味を持つ、食事に対する思想と実践のことだという。
寡聞にして初耳だったこの言葉で「新聞・雑誌記事横断検索」を使って検索をしてみたところ、190件近くの記事がヒットした。このうち、一番古い1991年から1999年までの件数は9年間で47件、2000年から2005年までの記事は5年半で139件と、近年とみに注目が高まっていることが分かる。

では、マクロビオティックとは具体的にはどういうものなのだろうか。ヒットした記事から付け焼刃的に情報を集めたところ、大まかにだが、以下のような特色があることが分かった。

・その土地で採れた、旬の食材を食べる
・精米しない玄米を食べる、野菜も皮ごと食べるなど、食材を丸ごと活かす
・食材の持つ特徴を踏まえ、陰と陽の食材をバランスよく食べる
・体に負担をかけやすい砂糖(精製されたもの)や、肉・卵・牛乳などの動物性たんぱく質を避ける

上記の項目を実践すると、いったいどんな食生活になるのだろうか。

具体的には、玄米や雑穀などの全粒穀物を中心に、3割程度を野菜類、1割を豆類・海藻類で摂取する。他に魚・果物・ナッツ類などを週数回採り、乳製品や肉・卵は月に数回程度が望ましいという。砂糖の代用にはメープルシロップや蜂蜜を使う。

絵に描いたような素食が脳裏に浮かんでくる。作るほうは楽でいいが、本当にこれで現代人の体はもつのだろうか?という疑問も浮上してくるが・・・・・・。

●食に歴史あり

マクロビオティックの歴史は、なんと昭和初期にさかのぼる。貿易商・食養指導家の桜沢如一氏が世界に独自の食養法を広め、日本よりも先に欧米でメジャーになった。アメリカでは歌手のマドンナやハリウッド俳優が取り入れ、一般にも広く知られているという。日本における近年のマクロビブームは、いわば日本に逆輸入された形となる。

もちろん、日本でも以前から、がん・ぜんそく・アトピーなどをきっかけに実践する人々が存在した。しかし近年では、ダイエットや便秘・冷えなどに悩む若い女性を中心に、美容や健康増進のために始める人が多いという。

マクロビオティックに特化した出版物・レストランも目立ち始めた。オレンジページ社が2002年に発売したレシピ本は発売後すぐに売れ切れ、重版を重ねている。首都圏を中心に、マクロビオティック料理専門のおしゃれなカフェやレストランが増え、気軽に味わえるようになった。メニューの内容も、従来の素食のイメージとはほど遠く、華やかで洗練された料理と洒落た雰囲気を味わうことができる。
 2003年には、新潟県の見附市で学校給食に取り入れる取り組みを始めている。また、病院食としても一部で取り入れられ始めている。

●からだは変えられるのか

いったい、なぜ今マクロビオティックが注目され、広まっているのだろうか。従来の「病気を治したい」「余命を少しでも伸ばしたい」という切実な背景から、「なんとなく」「身体によさそう」と気軽な選択肢の一つとして手に取る人が増えているという。実践するとどんな効果があるのだろう。食べ物を変えることで、私たちの体はどれだけ変わるのか。

残念ながら、具体的な医学的根拠に触れた記事は現時点では見つけることができなかった。しかし、その効果のほどは実践者たちの「体調がいい」「体が軽くなった」「元気になった」という言葉の中に見ることができる。

もちろん、人によって効果を感じられる人とそうでない人がいるだろう。また、生活の中に忠実に取り入れることは難しい場合もあるだろう。しかし、健康増進のために始めるのなら、できる範囲で自分自身の食を見直してみて、それにより変わる体を実感できればいいとも思う。肝要なのは、自分の体の変化を自分で感じ取れるようになることだ。ここからは私事で恐縮だが、筆者は今、米に混ぜて炊くだけの雑穀米と海草の酢の物などを夕飯に取り入れるだけの「爪の先マクロビ」を実践している。その効果かどうかは不明だが、以前は月に2~3個は食べていたケーキやスナック菓子をほとんど食べたいと思わなくなり(年齢のせいだという意見もあるがこの際無視)、体重は2キロ減という結果になった。
目や舌においしい食べ物もたまには必要だが、それは首から下にとってもおいしいのか?ということを考えるようになれば、それが自分や家族を本当の意味で大事にすることへの第一歩につながると思う。

お互いを大事にしながら、みんなで長生きしたいですね。

 

(text by さ)



2005-08-08 11:49  nice!(0)  トラックバック(0) 
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ホットドック早食い大会上位を日本人が独占 [食べる]


米独立記念日を祝う一風変わった恒例行事がニューヨークで行われている。それが「ホットドッグの早食い大会」だ。これはホットドッグのチェーン店「ネイサンズ」が企画しているもので、なんと1916年のネイサンズ創業当時から昨年まで89回も、僅か2年の中止を除いて毎年開催されている由緒正しいイベントだ。

ところがこの大会、90年代後半から日本人が優勝をほぼ独占。大会新記録を記録している他、現在も日本人選手が4連覇中だ。

その詳細を「新聞・雑誌記事横断検索」で調べてみた。

●新記録で4連覇

新聞記事検索でキーワードを「ホットドッグ AND 早食い」とすると予想以上の件数がヒットし驚かされる。

記事によると、この大会は、米国内や英国、ドイツ、カナダ、日本など各国で行われた予選の勝者20人が、ニューヨークにあるホットドックチェーン店「ネイサンズ」で行われる本戦に進出。一皿に五本ずつ載ったホットドッグを制限時間12分内でより多く食べた人がチャンピオンとなる。

記事の内容を確認するとヒット件数が多い理由にうなずける。なんとこの大会、96年以降、1年を除き日本人が毎年優勝しているのだ。

それらの日本人選手の記録を纏めると次のようになる。

96年:優勝:中島広文さん(23個4分の1)
97年:優勝:中島広文さん(24個半)
98年:優勝:中島広文さん(19個)
99年:3位:中島広文さん(19個)
00年:優勝:新井和響さん(25個)、二位:藤田操さん(24個)、三位:赤阪尊子さん(22個)
01年:優勝:小林尊さん(50個)、二位:新井和響さん(31個)
02年:優勝:小林尊さん(50個半)
03年:優勝:小林尊さん(44個半)
04年:優勝:小林尊さん(53個半)、二位:白田信幸さん(38個)

99年は惜しくも3位に終わったが、それ以外はなんと毎年日本人が優勝。さらに00年は1位~3位までを日本人が独占、また、01年以降は小林さんが4連覇を飾り現在に至っている。

その日本人の猛威には、「米国の威信をかけて戦え」とニューヨーク市長がと本気でゲキを飛ばす程。また中島さんが連覇を続けた当時は「USA! USA!」のシュプレヒコールが試合中に鳴り響いたという記事もあり、ホットドッグの本場米国としては、その早食い王座を日本人に奪われる事がよほど悔しかったのだろう。

また、96年から続く記録の先鋒となった中島さんには「トウキョウ・テラー(東京の恐怖)」という呼び名が付けられ、ニューヨーク市民が感じていた脅威が感じられる。

●きっかけはテレビの早食い番組企画

大会での日本人躍進の裏には、当時人気を集めていたテレビ東京の番組「TVチャンピオン」が存在する。

ニューヨーク開催の本戦に出場するには、世界各地で開かれる予選を通過する必要がある。この予選開催権をテレビ東京が所得した事から、番組の企画を兼ねて日本人選手が送り込まれるようになったのだ。

番組では、国内予選の様子からニューヨークに渡っての本戦を放送。00年に上位を日本人が独占した際も特番を組んで紹介するなど後押し、視聴率としても平均13%の高視聴率を上げていた。

ところが02年に状況は激変する。テレビ番組の早食いをまねした中学生が死亡する不幸な事故が起きてしまったのだ。

これをきっかけに当時人気だったTVチャンピオンでの大食い・早食い特集は自粛。他局でも早食い関連の番組も放送を取りやめる等、全国的に大食い・早食いについて自粛する傾向となった。

テレビ東京はこの自粛の流れを受け、日本予選会の開催権を放棄。これにより日本人が本戦へ参入する道が閉ざされ、01年優勝者の小林さんがディフェンディング・チャンピオンの権利で出場するのみとなった。

●ネイサンズ日本進出で予選再開

日本予選が開催されなかった02年から03年まで、小林さんは3連覇を成し遂げディフェンディング・チャンピオンの座を守りつづけた。

そして04年。ネイサンズが日本進出する事となり国内予選も再開。予選では00年チャンピオンの新井さんを破り白田信幸さんが優勝、小林さんと本戦へ参加し結果2位。そして小林さんは4連覇を達成した。

こうした早食い関連の記事検索結果には、選手達へのインタビュー記事もあり、日常生活での驚異的な食事量の他、早食い大会に向けた日頃の鍛錬が紹介されている。これらの選手達の早食いに対する真剣な取り組みからは、早食いを一種の競技として捉える新たな姿勢が伺えるが、フードバトルと呼ばれる早食い・大食い競技に対しては、02年の事故を教訓とすべき点が大きな問題として残り、これら安全面の確立が競技としてのフードバトルには要求されるように思われる。

(text by や)


2005-03-28 16:12  nice!(0)  トラックバック(0) 
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日本のハンバーガー発祥の地、佐世保の「佐世保バーガー」 [食べる]


日本のハンバーガー発祥の地、それが長崎県佐世保市だ。佐世保市では1950年頃に駐留米軍基地から地元の日本人にハンバーガーのレシピが伝わった。そのハンバーガーが、現在「佐世保バーガー」と呼ばれ、東京都内や首都圏各地でブームを呼びつつある。

今回はその佐世保バーガーの発祥と人気について「新聞・雑誌記事横断検索」を用いて調べてみた。

●そもそも佐世保バーガーとは何なのか?

新聞・雑誌記事横断検索」にログインし、キーワードを「佐世保バーガー」として検索すると、約50件の記事がヒット。それらの記事見出しから主だった記事を選ぶと、佐世保バーガーの全容が見えてくる。

記事によると佐世保バーガーの発祥は1950年頃という。東京・銀座にマクドナルド1号店が登場したのが1971年であるから、佐世保バーガーはこれの20年以上も前に登場した事となる。

朝鮮戦争が開戦した当時、佐世保基地にはアメリカ海軍が駐留し市内は米兵で溢れていた。そのアメリカ海兵からのリクエストを聞いて作られたのが佐世保バーガーの始まりと言われている。

本場のアメリカ人向けに作られ、外国人バー街で売られた佐世保バーガーだが、次第に日本人に合わせた味に改良が重ねられた。市内に約30店あるという店舗が現在のラーメンブームのように味を競い合い、パンやパテで店ごとの個性を主張。その努力の結果、市民の味「佐世保バーガー」として定着したのだ。

佐世保市には、現在でも米軍基地ゲートそばにある老舗の「ヒカリ」や「ブルースカイ」さらにベーコンエッグバーガーを開発した「ビッグマン」など名店が存在し、人気店の中には週末ともなると1時間待ちになる店や観光バスが止まる店までもあるという。

ハンバーガーには、ファーストフードのイメージが付きまとうが、佐世保バーガーはそれらチェーン店の商品とは別物、この歴史と練り込みを見ると佐世保の郷土料理とも言えよう。

当然、地元での佐世保バーガー人気は絶大。04年に「ビッグマン」の近所に某ハンバーガーチェーン店がオープンしたが、1年もたずに閉店した例もある程だ。

また「一杯飲んだ後はハンバーガー」という発想まであり、関東でのラーメンに近いレベルで定着しているようだ。

ところが地元の人々には、ハンバーガーを町おこしに生かす発想がなかった。ハンバーガーが浸透していたがゆえに、余りに身近すぎた為に、逆に誰も注目しなかったのだ。

青年会議所のメンバーの一人も「よそでもみんなこんな感じだと思っていた」と言い、市当局でも「ハンバーガーを食べに観光客が来るはずがない」という思い込みがあったようだ。

●大人気!ハンバーガーマップ

佐世保バーガーが全国的に知名度をあげたのはごく最近で、01年に佐世保市の働きかけで旅行会社でハンバーガークーポン付き旅行券を発売した事がきっかけだ。

この旅行券の売れ行きはさっぱりだったが、付録としてつけた「ハンバーガーマップ」が大ヒット。マップを欲しがる人が殺到し、当初の5000部があっという間にはけ、翌年は年間10万部も配布し、ネットや口コミでファンの輪が広がるきっかけとなった。

●佐世保バーガーを観光資源へ!

さらに03年には、東京・中野に初進出した佐世保バーガーの店舗「ZATS BURGER CAFE」が成功。これらを見て、佐世保でもようやく佐世保バーガーを観光資産とできるのでは?と注目されだしたのだ。

こうした佐世保バーガーに追い風が吹いた。

米軍基地を会場とする恒例行事の「西海岸アメリカンフェスティバル」が米同時多発テロの影響などで2年連続中止となったのだ。その代案として行う祭りの企画に関係者は迫られ、04年8月に、JR佐世保駅前で「佐世保バーガーフェスティバル」が開催されのだ。

当初、集客を危ぶむ声もあったこのイベントだが、蓋を開けてみると5万人の人出を記録する大成功の祭りとなった。

祭りには13の佐世保バーガー名店が出店したが、店には最高2時間半待ちの長蛇の列ができ、材料切れで販売停止をした店まで出る異常な熱気に包まれたという。

ちなみに佐世保市の人口は約24万人。これを考えるとこのイベントに集まった5万人という数字の凄さがわかる。

●佐世保バーガー首都圏展開へ

東京・中野への出店を行い首都圏への進出を果たした佐世保バーガーだが、佐世保バーガーの観光に生かすために様々なPR手段を取ってきた。その一つが佐世保バーガーのイメージキャラクター作成だ。

そこで登場したキャラクターはなんと、アンパンマンの著者やなせたかしさんによるデザイン。佐世保をイメージし、ハンバーガーに水兵とコックを組み合わせた清潔感あるデザインだ。名称は公募により「バーガーバー」と決定、携帯ストラップなどのグッズも制作され人気を呼んでいる。

さらに、やなせさんは「佐世保バーガーソング」を作曲。こちらは近くCD化もされるという。

大掛かりな出店展開も始まった。05年2月に「ららぽーと」にオープンした「東京パン屋ストリート」へ佐世保バーガーの名店「ビッグマン」が出店したのだ。

「東京パン屋ストリート」はナムコでも初となるパンが中心となったフードテーマパーク。ここでは年間150万人の集客が見込まれており、東京展開のきっかけとしては、またとないチャンス。力の入れようを感じる。

ただ一つ残念なのは、やなせさんデザインによるキャラクター「バーガーバー」が、東京進出にあたり「バーガーボーイ」という名前に変わってしまったのだ。

理由は「バーガーバー」という呼び名が東京では「バーガー婆」に聞こえるというものだ。

「バーガーバー」という名称は、地元の人が店でハンバーガーを注文するときに「ハンバーガー ば、ひとつ」と言う、方言の語呂にあわせてつけたという。

この場合の「ば」が方言で、てにをはの「を」にあたる。例えば「ハンバーガーを、ひとつ下さい」と言うときに「ハンバーガーば、ひとつくれんね。」というのだ。

佐世保市の町おこしを荷い、地元と切り離せない佐世保バーガーのキャラクターだけに、方言という地元を代表する表現を変えたことが残念に思える。

(text by や)


2005-03-14 16:07  nice!(0)  トラックバック(0) 
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いつの間にか東京名物。手作りチョコレート専門店の進出 [食べる]


豆まきに恵方巻きで賑わった節分シーズンが過ぎると、今度は2月14日のバレンタインデーが待っている。テレビ番組にも毎年恒例のバレンタイン特集が目立ち、街中のディスプレイや特売コーナーもバレンタインモードに切り替わったようだ。

バレンタインといえばプレゼントの品となるチョコレート。特に海外産の高級チョコレートが人気なのだが、東京がこの数年間で世界でも有数な手作りチュコレートの販売都市として人気を集めている事をご存知だろうか?

なんと「ショコラティエ」と呼ばれる海外の有名手作りチョコレート職人や専門店の相次ぐ東京出店により、東京は世界でも有数の手作りチョコレート販売の街となっていたのだ。今回は、これらチョコレート専門店の東京進出について「新聞・雑誌記事横断検索」で調べてみた。

●ジャン=ポール・エヴァンの出店によりブーム定着

東京へのショコラティエ進出の先駆者となるのが、98年にパリから出店をした「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」だ。ラ・メゾン・デュ・ショコラはパリを代表するチョコレート専門店。商品は週1回パリから空輸し、製造後8日間しか店舗に並べないという方法で従来のチョコレートとは大きく異なる高級商品として販売した。

これが20代~30代の女性を中心にヒットし、その後も次々と世界の有名ショコラティエが東京に出店する事となる。

このブームを決定づけたのが01年に銀座に出店し、世界にある同店の店舗で唯一カフェを併設した事が評判となった「ピエールマルコリーニ」。そして02年に伊勢丹新宿店に出店した「ジャン=ポール・エヴァン」である。

なかでもジャン=ポール・エヴァンの出店は当時から大きな話題となり、各ショコラティエの名前で検索をすると、他のショコラティエと比べても記事のヒット件数が多い。

それらの記事によると、当初ジャン=ポール・エヴァンでは「品質管理の問題よりパリから離れた場所では出店しない」と、出店の要望をしていた伊勢丹側からの提案を拒みつづけていた。

それに対し伊勢丹は、店内とケース内の厳密な温度管理のために専用の重いガラス扉を設置し、照明も暗くするなど、デパートとしては通常考えられない条件を提示することで説得に成功。ジャン=ポール・エヴァンにとって初の海外出店を東京でする事になったという。

その結果、今では伊勢丹のジャン=ポール・エヴァンは1日3千個ものチョコレートが売れる大人気というから驚きである。

●明治製菓の専門店「チョコレートカフェ」が登場

このような海外チョコレート店の進出が進む中、日本のチョコレート店でも進んだ動きがあった。04年12月に「100%チョコレートカフェ」なる世界でも初めてとなるチョコレートをテーマとしたカフェがオープンしたのだ。

これをオープンさせたのはチョコレート販売で有名な明治製菓。京橋にある同社の本社ビル1階を利用してオープン。チョコレートにこだわった、力の入った店舗となっている。

同社がこのカフェを通じ目指しているのは、チョコレートの「おいしさ」と「楽しさ」の提案だという。当然それを裏付ける工夫が店内には数多く施されている。例えばカフェの内装は天井が板チョコをモチーフしたデザインであったり、フードメニューすべてにチョコを使っている等、店内中がチョコレートに対するこだわりにあふれているのだ。

また、この店の最大の売りである、二十二種類のカカオ豆を使った五十六種類のチョコレートライブラリーでは、様々なチョコレートに加え、文献を元に作られた中世アステカ時代のチョコレートや明治製菓往年のコレクションなども揃い見ていても飽きない。当然56種類のチョコレート全てが販売されているのだが、価格も2つで350円程度と控えめで嬉しい。

こうしたこだわりから「100%」と銘打たれたチョコレートカフェ。チョコレートファンならずとも注目したい店だが、こうした自社製品に対するこだわりからカフェまで出店してしまう明治製菓の取り組みは今後のさらなる成長を予感させて頼もしく、新製品の登場が楽しみとなってきた。


(text by や)


2005-02-14 15:23  nice!(0)  トラックバック(0) 
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キットカットできっと勝つ?!縁起菓子が大ヒット中 [食べる]


15日に大学入試センター試験が開始され、今年も受験シーズンの本番が到来した。結果によっては人生を左右するかもしれない大学受験。合格に繋がるならば何でもしたいというのが受験生達の心理だろう。そうした受験生の心理を上手についたお菓子が今ヒットしている。

それが「KIT KAT(キットカット)」を代表とする縁起菓子だ。

縁起菓子とは受験にちなんだ語呂合わせを持つお菓子の事。例えばキットカットの語呂が”きっと勝つ”に通じるとし受験を前にした学生の人気を集めているのだ。

受験にちなんだ縁起物は昔から多く存在するが、縁起菓子のような一見普通の商品が縁起物として全国的な人気を集めたのは珍しい。

では縁起菓子人気の秘密は何か?「新聞・雑誌記事横断検索」で調べてみた。

●キットカットが元祖

キーワードを「(縁起 OR ゲン担ぎ)AND 菓子 AND 受験)」として検索。すると50件以上の記事がヒットした。

記事を調べると、縁起菓子についてはここ数年で見られ、これらが最近のブームである事が判る。さらに読み進めると、こうした縁起菓子の”元祖”が、先に紹介した「キットカット」らしい事がわかった。

記事によると、そもそもは博多弁の「きっと勝つと」に「キットカット」を掛けたとの事。これが縁起がよいとされ、九州の学生から口コミで全国に広まっていったという。お菓子メーカーの意図しない所でブームが起きていたのだ。

●縁起菓子の数々

では他にはどんな縁起菓子があるのか、記事から調べてみた。
※括弧内の言葉が語呂合わせにより縁起が良いとされる言葉。

  • キットカット   (きっと勝つと)
  • カール      (受かる)
  • キシリトールガム (きっちり通る)
  • コアラのマーチ  (寝ていても落ちない)
  • さくさくぱんだ  (さくらさく(桜咲く)ぱんだ)

どれも要はダジャレなのだが、ストレスを多く受ける受験生としてはお菓子の息抜き的要素とゲン担ぐ事が緊張をほぐすのかもしれない。

またこれらお菓子の受験生への人気を受けて、各製菓メーカーでもそれぞれのお菓子を縁起物とするPRを開始、人気拡大に一役買っている。

「ネスレコンフェクショナリー」のキットカットからは、商品パッケージやCMに「きっと、サクラサクよ」をキャッチとした受験生向け限定バージョンが登場。新たに今年は5角形のマグカップがセットとなる商品も発売した。これは「合格」とマグカップの「5角」を掛けた商品だ。

「明治製菓」のカールは、パッケージを「うカール」とした受験生の合格祈願バージョンを受験シーズン限定で発売。

また、コアラのマーチを販売する「ロッテ」では今年から本腰を入れPRを開始。コアラのマーチに文房具をセットして販売した他、キシリトールガムを「きっちり取る」と読ませるPRを行っている。

一方「カバヤ食品」では、消費者から寄せられた同社の商品「さくさくぱんだ」を「さく”ら”さく(桜咲く)ぱんだ」と読ませるアイデアを採用、商品化した。

●1、2月の売り上げ大幅拡大へ!

このように次第に過熱の度合いを増す縁起菓子だが、ブーム当初から今日まで、売上げへの影響はあったのだろうか?

やはり「新聞・雑誌記事横断検索」から調べてみた。

記事によると、キットカットが受験のお守りとして使われだしたのは02年からだという。翌年03年の1月から3月までの売上げは、前年同期比で約6割も増加。急激にブームが広がる様が伺える。

04年、この人気を受けたネスレでは、キットカットのロゴ入りマフラーや鉛筆を作り、キットカットとセットで「受験生応援パック」として販売した。マフラーは好評で品薄状態となり入手が困難な程だったという。

そして今年05年は、キットカットでは先に紹介した合格マグカップセットを販売。
1,2月の売上げを前年比二桁増を見込んでいるという。

また、各社の語呂合わせを生かした商品販促を受け、コンビニやスーパーでは特設コーナーが設けられる店舗も多く見られる。
昨年、縁起菓子の品切れを起こした東京都目黒区のダイエー碑文谷店では、昨年の10倍以上の在庫を用意したという。

このように年々勢いを増す縁起菓子の販売だが、本来、受験生のお守りであったはずの縁起菓子がビジネスの材料として大々的に使われる様に少し違和感も感じる。

縁起菓子で受験生が後押しされればよいのだが、あまりに好調な売上げを見ると、一番ご利益を得たのは製菓メーカではないだろうか?とも思え、受験生まで御利益が残るのか若干不安なのである。

(text by や)


2005-01-24 15:10  nice!(0)  トラックバック(0) 
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缶詰誕生からなんと200周年! [食べる]


日常生活に欠かせなく普段何気なく使っている缶詰が、なんと今年で誕生から200周年を迎えたという。

200周年記念にあたっては、記念イベントの「缶・びん詰、レトルト食品フェア」が「缶詰の日」とされる10月10日の直前にあたる7日~8日の2日間、有楽町の東京国際フォーラムで開催。2万人の来場者を集め大成功で終わった。

ところで、ここまでの歴史を持つ缶詰はそもそも誰が作ったのだろうか?
新聞・雑誌記事横断検索を使い調べてみた。

キーワードを「缶詰(200周年 OR 200年)」として検索を実行すると、約60件(2004年10月現在)の記事がヒットした。

ヒットした件数を新聞毎に見てみると、日本食糧新聞に掲載された分が半数近くあり、専門紙としての特性が伺えて面白い。

●缶詰の発案は「ニコラ・アペール」氏

缶詰の原理は「密封」と「殺菌」過程にあるのだが、これを1804年に発明したのがフランス人のニコラ・アペールだ。

そもそも発明の起源は、ナポレオンがフランス人兵士向けの携帯食料としてアイデアを募ったもの。軍艦などで遠征中の兵士が栄養失調になりがちなフランス軍の士気低下を危惧したナポレオンが、食品の新しい保存方法を募集した。それに応募したニコラ・アペールの案が採用された事が始まりなのだ。

缶詰の原理となるアペールのアイデアは、調理した食品をビンに詰めて温め、空気を追い出しコルク栓をする事で保存する物。この保存方法の発明に対し、ナポレオンは1万2千フランの賞金を贈っている。

日本食糧新聞の記事ではこの時代の公文書についても触れられており、それによると「ニコラ・アペールの加工食品(瓶詰め)が船員を死から救いあげた」と書かれており、当時の軍事下での実用性についても確認できる。

すでに軍事利用されていたこの技術が世間一般に知れ渡る契機となったのが、1808年にアペールがフランス産業振興連盟に提出した3本の密封されたミルク瓶だ。これが6年後に開封された所、試飲すら可能な状態だった事から、製法の正しさが認められ「アペール法」として広まったのだ。

その後ブリキによる保存方法も開発され、イギリスで世界初となる缶詰工場が建てられ、缶詰の普及へつながった。

●日本での缶詰誕生

日本での缶詰は、1871年に長崎の松田雅典氏がイワシの油付け缶詰を製造したのがはじめとされる。その後、1877年の10月10日に商業的生産が開始され先に紹介した「缶詰の日」の所以となったそうだ。

この缶詰生産が大きな発展を遂げるきっかけとなったのが、日露戦争だ。

缶詰誕生がナポレオンによるフランス軍向け食料提供だったのと同じように、軍用食料として日露戦争が契機となり缶詰が発展した類似性が興味深い。

さて、こうした缶詰誕生にいたるまでの歴史や缶詰製法に関する情報は、「日本食糧新聞」に詳しい。「缶詰の日」を控えた9月13日には「缶詰特集」と「缶詰誕生200周年記念特集」を行っており、当日だけで20もの特集記事が検索にヒットする。

特集内容は、缶詰生誕の歴史から200年前の缶詰について作り方の紹介や、日本における缶詰の歩みまで多岐にわたり、生誕200周年を迎えたこの機会に読んでみると面白いかもしれない。


2004-10-25 16:37  nice!(0)  トラックバック(0) 
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口も話題も熱い!「暴君ハバネロ」に迫る! [食べる]



●ハバネロとは

通常のトウガラシより1000倍辛い。それがメキシコ原産の香辛料「ハバネロ」だ。
その辛さはギネスブックに世界一辛いと公認されお墨付きだが、今までそれほど注目を集めていなかった。この激辛トウガラシが「東ハト」の新作商品「暴君ハバネロ」と共に熱い。

注目度合いを調べる為に 新聞・雑誌記事横断検索 でハバネロを検索すると、「ハバネロ」でヒットする記事は過去30件。そのうち、暴君ハバネロが含まれる記事は19件と、このスナック菓子登場で急速に注目が集まった様が伺える。

実際ハバネロを原料とした商品はこれまで殆ど発売されておらず、2000年に発売されたペッパーソース「マリーシャープス」(水野産業)が「日本食糧新聞」の記事から見つかる程度だ。


●暴君ハバネロ売上好調

にもかかわらず、暴君ハバネロの売上は絶好調だ。

初年度目標に設定した売上高を発売1ヶ月で突破、今年3月に掲載された新聞記事によるとその時点で計画の5倍ペースの売上を確保しており、5月時点では月商一億円商材に成長したという。
売上好調により在庫を持てない状況が続き空輸による搬送まで行われたというから凄い。

この人気の原動力が暴君ハバネロの巧みな商品構成だ。
新聞・雑誌記事横断検索 で暴君ハバネロについて調べると、開発にいたるまでのエピソードが数多く紹介されている。

記事によると、
当初は商品企画担当者の辛いスナックが売れそうだという市場分析を元に、激辛系スナックの開発が企画されていたのだが、東ハトの木曽社長はこれの販売を認めなかった。

東ハトでは2003年の民事再生法適用以後、新社長木曽健一氏の下で新生を目指しており、新体制では「毎月の経営戦略委員会が承認した“自信作”しか販売しない」という方針があったのだ。

そこで担当者は文献やWebから世界一辛いといわれるハバネロを見つけ出し、それを使う案を出し、初めて開発ゴーサインがでた。

こうして、一介の激辛スナックが「世界一辛いハバネロのスナック」という一味違った商品へと進化したのだ。

さらに、

  • ハバネロの語感の良さ
  • 歴史上の有名人、暴君ネロとハバネロを掛け合わせ「暴君ハバネロ」としたネーミング
  • 名称を元にした愛嬌あるキャラクター
とハバネロを元にイメージ展開し、完成度が非常に高い商品となったのだ。


●新生「東ハト」の戦略的中

一介の激辛スナックを、大ヒット商品へと変化させる。こうした経営方針の背景には、民事再生法新生後、生まれ変わった東ハトの活動ポリシーがある。

木曽社長は東ハトの同族企業特有の上意下達的な雰囲気から、社員の自立性を重視したボトムアップ型の企業体質への変換を目指した。

その策としてコーポレートブランド室を統括するCBOにプロサッカー選手の中田英寿氏を起用。また成果主義を採用することで、同じ職階であっても3割程度の給与差が付く信賞必罰の体制に切り替える等、矢継ぎ早に施策を実施した。

面白いのは中田選手の起用が、広告塔としてではなくサッカーで培った精神力や行動力、リーダーシップやチームワークを社内に向け発揮してもらう事が目的という点。社内意識改革にそれだけ本気という事だろう。

新聞・雑誌記事横断検索 で「東ハト」をキーワードとして検索すると、記事見出しからも順調に進む東ハトの再生が伺える。

そしてその成果は、新生東ハト初の新製品「暴君ハバネロ」の成功で目に見える物となった訳だ。


2004-05-24 13:48  nice!(0)  トラックバック(0) 
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健康茶ブーム到来!売れる秘密に「トクホ」あり [食べる]


● 健康茶ブーム到来

昨年大ヒットしたサントリーの「アミノ式」、その独特なリズムを持つCMソングが印象深い。そんな「アミノ式」にそっくりな曲をCMで聴くようになった。

「健康系♪~健康系♪~」と歌うその曲はやはり飲料水のCMなのだが、よく見ると「カテキン式」というサントリーの新製品であった。

昨年は「アミノ式」を初めとしたアミノ酸飲料が大ヒットし、各社で新製品の開発合戦が行われたのだが、次にブームを迎えたのが「カテキン式」などの健康茶だ。

この健康茶ブームの火付け役は、花王が昨年5月に発売した「ヘルシア緑茶」と言われている。

「ヘルシア緑茶」の特長は通常の緑茶飲料の314倍も含まれている茶カテキン。これが体脂肪を減らすのだ。値段は350ミリリットルで180円と高めなのだが、2003年の売上見通しが150億円に上がる大ヒット商品となった。

カテキンが大量に入っているとはいえ「ヘルシア緑茶」が何故ここまでヒットしたのか?

新聞・雑誌記事横断検索 を利用して「ヘルシア緑茶」を検索すると、その答えが見えてきた。


● 特定保健用食品とは?

健康茶のヒットに欠かせないキーワード、それが「特定保健用食品(通称トクホ)」だ。
特定保険用食品とは、1991年に食品衛生法と健康増進法に基づいてつくられた制度。食品の健康に及ぼす効果を証明して厚生労働省に申請し、内容を認められることにより、「健康の維持や促進に役立つ」といった謳い文句を商品に付けて販売できる。

つまりは健康食品に対する国からのお墨付きだ。

例えば「ヘルシア緑茶」では、商品に『体脂肪の気になる方に』と具体的な効能を記載し、人が万歳をしているトクホの認定を受けたマークをつけている。

これらが他の商品と同じ棚に並んでいたら、ついついトクホ認定の商品を選んでしまうのが現代人の性だろう。

こうした結果、トクホ認定商品全体の売り上げは日本健康・栄養食品協会の調べによると99年度の約2270億円から01年度は約4120億円と2倍近くに膨らんだ。


● 各社での健康茶発売状況

このようにヒットを続ける健康茶だが、最近CMやお店の棚で見かける健康茶の中でトクホ認定を受けている商品はどれだけ存在しているのだろうか?

新聞・雑誌記事横断検索 を使い、特定保健用食品の認可を受けている健康茶を調べると、意外とこれらの商品が少ないことが判る。

 特定保健用食品の認定を受けた主な健康茶(2004年2月10日現在)
 ※全国紙を対象に、キーワード「(特定保健用食品 OR 特保 OR トクホ) AND 健康茶」にて検索

  • 蕃爽麗茶(ヤクルト)
  • 緑茶習慣(伊藤園)
  • 健茶王(カルピス)
  • ヘルシア緑茶(花王)
  • インナーティープラス(森永製菓)
  • 力茶(佐藤園)
  • 杜仲源S(小林製薬)
  • 健人茶論(近畿コカ・コーラボトリング)
  • 食前茶(日本サプリメント)

これは何故だろうか?


● 特定保健用食品の壁

この原因にはトクホ認定の大きな壁の存在があった。

トクホ認可を得るまでにはその効能などをメーカーが証明しなくてはならない。その証明には、数千万円から1億円程度の膨大な費用と時間が掛かるという。

その為トクホは大手食品メーカー以外には取得が難しい物となり、商品数も増やすに増やせないという訳だ。

現在この現状を受け、トクホ認定の基準を変更すべきではという論議が健康食品業界から起きているのだが、健康茶をはじめとした生活に関わる商品に関することだけに、健康食品関連の人々はもちろん消費者としても動向に注意したい。


2004-02-12 15:27  nice!(0)  トラックバック(2) 
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牛が駄目なら豚がある!ファーストフード店の狂牛病対策 [食べる]


度重なる狂牛病の影響で大きな打撃を受けた外食業界だが、聖域と思えた鶏肉にまで鳥インフルエンザが発生。 大きな追い討ちを受けてしまった。こうした状況下で各店舗では様々な対策を取っている。

今回は 新聞・雑誌記事横断検索 を利用して、牛丼チェーン店やファーストフード店における対応状況を調べてみた。


● 吉野家

先ずは吉野家。

使用する牛肉99%が米国産である吉野家では、BSE発生による米国産牛肉が輸入禁止の影響を大きく受けた。通常の営業状態では2月中旬に牛肉の在庫が無くなると見込まれている。
そこで販売された新メニューがこれ。

  • カレー丼(400円)
  • いくら鮭丼(450円)
  • 焼鶏丼(450円)
  • 豚キムチ丼(450円)
  • マーボ丼(400円)

ちなみに新メニュー以外の対応策としては、

  • 牛丼の特盛り販売の中止
  • 大部分の店舗で24時間営業を取りやめる
などを実施した。

ここまでした上でも、2月中旬には牛肉の在庫が切れ牛丼販売中止の危機にあるのだが、今度は追い討ちとなる鳥インフルエンザが発生。22日にタイからの鶏肉輸入禁止がされた。

牛肉に比べスーパーやファーストフード店における影響が少ないとされる鳥インフルエンザだが、吉野家が牛丼の代打として送った焼鶏丼は原料の20%がタイ産の鶏肉。牛丼とのダブルパンチを食らってしまった。

一方、吉野家のライバル牛丼チェーン各店についても、牛肉の在庫は約1ヶ月分で切れるとされており、牛丼以外の商品を出さざるを得ない状況だ。

そこで作られたのが次の商品。吉野家の新商品5品目にが追付かないが、各店の工夫が見られる。

特に松屋では吉野家のカレー丼が400円であることをにらみ、ヘルシーチキンカレーと豚めしを牛丼と同じ価格の290円で発売。吉野家への対抗に燃えている。


● 松家
  • 豚めし(290円)
  • ヘルシーチキンカレー(290円)
● すき家
  • とりそぼろ丼(380円)
● なか卯
  • 豚角煮丼(550円)
  • 豚どんぶり(400円)

● マクドナルド

牛丼系ファーストフード店が代替メニューを用意するなか、豪州産牛肉を使用するマクドナルドでは、積極的なイメージ回復キャンペーンに努めている。

「マック・ハンバーガーデー」キャンペーンでは、ハンバーガー無料引き換え券1000万枚を配る大判振る舞いした。

さらにこのキャンペーンでは、近鉄バッファローズの梨田監督と岩隈投手を招き無料引換券を配る等、ハンバーガー離れを防ぐ努力を行った。

ちなみに梨田監督のプロモーションは、近鉄の猛牛と牛肉をかけた駄洒落。

他店で見られたようなメニュー変更としては、米国産の牛肉を15%使用した「フランクバーガー」の販売が中止されたが、代替メニューなどは用意していない。

一方、鳥インフルエンザ被害としては、「チキンマックナゲット」と「チキンタツタ」の約40%がタイ産であるが、中国産やマレーシア産に置き換えることで影響は殆ど無いとしている。


● ロッテリア

マクドナルドが積極的な販促キャンペーンをするなか、新商品により大きく売上を伸ばしているのがロッテリアだ。

新商品とは、肉を一切つかわない「北海道のじゃがバタバーガー」。

これを発売したところバーガーの売上は逆に上昇。発売初日はお客の3割もが「北海道のじゃがバタバーガー」を購入するほどの大人気となった。

ロッテリアでは「社運が来た実感がある」とじゃがバタバーガーにかける期待が大きい。

  • 北海道のじゃがバタバーガー(190円)


このように新聞・雑誌記事データベースを使うことで、BSEや鳥インフルエンザの被害に苦しみつつも、新商品やアイデアにより活路を見出そうとする企業の動きを伺うことができた。


2004-02-05 15:22  nice!(0)  トラックバック(0) 
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